こんにちはYKです。
先日、チャンネル登録がめでたく1,000万人を突破したトップYouTuberのヒカキンさんですが、現在では配信動画数、総再生回数ともに異次元の数字を叩き出しています。
そんな日本国内でもトップYouTuberの一人になったヒカキンさんでも、スタートという時期はありました。
今回の記事では、そんなヒカキンさんのデビュー作になる初投稿動画と初めてバズった動画や若かりし頃の画像をまとめてみました。
HIKAKIN(ヒカキン)の初投稿動画は?
ヒカキンさんは、実家のある新潟県の新井高等学校に在学時にの2006年12月にYouTubeにて自身の公式チャンネル「HIKAKIN」を開設しています。
サラッと書きましたが、すごい行動力ですよね。
残念ながら開設当時の動画は、削除されてしまっていて現存していません。
ヒカキンさんの現存している最初の動画は、本人も以前動画の中で紹介されていたのでご存知の方も多いと思うのですが、2007年9月24日に投稿されたヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)です。
ヒカキンさんは2021年9月現在32歳なので、18歳の時にこの動画を投稿したことになります。
ちなみにこの動画のコメント欄の日本人最古のコメントは
SEISANTUBE
素晴らしい!!!の一言。 ルイージマンション懐かしいn(^-^)
引用元:YouTube
で、ヒカキンさんの実兄であるセイキンさんの前のチャンネルからのコメントです。
ヒカキンさんは現在でも動画の始まりや途中で導入していますが、元々はボイパYouTuberとしてデビューしました。
動画を見てもらったらわかるように現在とでは機材や編集能力も違うでしょうから画質も荒く、顔に面影がなければ、特に子供たちはヒカキンさんの動画だと気づかないかもしれませんね。
当時のヒカキンさんは、現在よりも痩せててスタイリッシュでどこにでもいるような若者ですね。
ヒカキンさんも最初から順風満帆で現在のようなチャンネル登録者数や収入があったわけではありませんでした。
HIKAKIN(ヒカキン)が初めてバズった動画は?
ヒカキンが初めてバズった動画がこちらになります。
2010年6月17日に投稿された動画で、Super Mario Beatbox(スーパーマリオビートボックス)というタイトルの動画です。
2021年現在で5,200万回も視聴されている動画ですが、配信当時は海外からのアクセスの方が圧倒的に多かったようです。
その後、ヒカキンさんは狙いの視聴者層を低年齢層に絞り、おもちゃ紹介やゲーム実況などへシフトしていき現在の形を作っていき遂にはチャンネル登録者数1,000万人突破というとんでもないユーチューバーとなりました。
ヒカキンさんのすごいところは、ヒューマンビートボックスの動画配信だけにこだわらず世の中でウケるものを常に探し続け配信し続けてきたところではないかと思います。
まだまだYouTubeそのものが、一般的ではなかった時代にYouTubeでの動画配信に目を付けビジネスモデルを構築したヒカキンさんのビジネスセンスには驚きです。
ヒカキンさんのビジネスセンスは、一体どこで形成されたのでしょうか?
子供の頃や若い時はどんなだったのか気になりますね。
HIKAKIN(ヒカキン)の若い頃の画像や写真
ヒカキンさんは新潟県中頸城郡妙高高原町(現・新潟県妙高市)の出身で、高校生までは新潟県内で過ごし、卒業と同時に上京し、東京都のスーパーマーケットで働いていました。
スーパーマーケットに勤めながら動画配信を続け、2012年に勤めていたスーパーマーケットを退職し、専業ユーチューバーとして生活をスタートしています。
ちなみに、ヒカキンさんの本名は開發 光(かいはつ ひかる)です。
全国的にもかなり珍しい苗字で、ヒカキンさんの出身である上越地方に数十名しかない苗字だそうです。
そんなヒカキンさんの幼少期の画像がこちらです。
ヒカキンさんと実兄のセイキンさんの二人で写っている写真です。
現在の画像と見比べたら、セイキンさんはそのまま大きくなった感じですが、ヒカキンさんの方はなんとなく面影はあるなぁって感じですね。
一つ言えるのは、現在の二人の配信する動画や人柄を見るとご両親に良い育てられ方をしたんだろうなという印象を受けます。
続いて学生時代の画像がこちらです。
画像は小学生の時と高校生の時のものですが、本当にどこにでもいるような少年・青年といった感じですね。
しかし、この高校生の時代の時点でヒカキンさんはすでにYouTubeに関わっています。
当然本人は、将来ユーチューバーとして食っていけるなんて思ってもみなかったでしょうし、自分の好きなものや得意なことを見てもらいたいとかそんな軽い気持ちだったと思います。
その後高校を卒業し、都内のスーパーマーケットで働いていた時の画像がこちらです。
ヒカキンさんは当時のことをインタビューでこう語っています。
上京して都内の小さいスーパーに就職しました。食品部門に配属され、早朝から品出しや倉庫整理をするのが日課。
そんな仕事を終えて帰宅し、睡眠時間を削って動画を編集して、UPして。また朝になったら、スーパーに行く。
店頭でお客さんに怒られても、上司に嫌味を言われても、自分にはYou Tubeがあったから、仕事も続けられたと思います。引用元:新R25
当時の給料のほとんどをYouTubeで使用する機材なんかに使っていたそうで、真剣にYouTubeへ取り組んでいたことがわかりますね。
何よりも、本当に好きだったからこそモチベーションを保って続けれたんだなというのがすごく伝わってきますね。
まとめ
今回の記事では、先日チャンネル登録が1,000万人を突破したヒカキンさんの
・初めてバズった動画
・若かりし頃の画像
これからのますますのヒカキンさんの活躍を期待したいですね。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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